なんくるないさ

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otherside

「オッス、オレマコ、よろしく」
中背の細身のサラサラヘアーの男が、笑顔でふすまを開けて挨拶した。色白で輪郭は細く、体毛も顔も薄い男は同じ大学の新入生で、同じ下宿に自分が来る数日前から入り、本日自分の荷物をある程度運び入れたタイミングで挨拶しに来てくれた。愛想が良さそうで物腰も柔らかい。栃木県の小山市出身であること、小山が田舎であること、工学部の地球環境工学科、略してチカンの新入生であることを話す。別に敢えてチカンチカンと略す必要はなさそうだが、チカンと呼んで欲しいらしい。自分が入った下宿は大学の裏の住宅街を数分歩き、坂を上ったところに入り口があり、さらにその家の階段を数十段登ったところにある2階建ての一軒家で、1階には子供3人の家族5人が、さらに2階の3部屋に大学の新入生の自分達2人と以前から入居している博士課程の院生1人の合計3人の学生が住んでいた。朝夕食付きの下宿で、風呂トイレも家族と共同、風呂の時間は決められているという、今考えると相当窮屈だが、その当時は一人暮らしの経験もなく、また部屋の開放感が気に入りそこに住んでいた。マコはバンド活動をしたいらしく部屋の端にはギターケースに仕舞われたギターが周囲のものからは離れた位置で大事そうに置かれていた。
「オキナワ熱いね、オキナワいいね」
なんとなく彼の中で自分が沖縄出身であることがプラスに働いていることは良かったし、振り返ってみても有り難かったと感じる。のちに自分がアメフト部で練習中に琉球魂のTシャツを着てランニングをしていたら見学していたおじさんに声をかけられ、お前は琉球から来たのか、琉球からこの大学に入るなんてすごいな、奇跡だ、と言われたのを覚えている。同級生に東大、京大は普通にいるし、理三にも沖縄の高校から現役でいく子もいるんだけどな。脱線したが、沖縄好きで見下していない同居人が同じ大学の新入生であったことは本当に幸いで、その後もよく行動を共にした。お互い福岡が地元でない田舎者同士であり、入学当初は度々協力し合えたような気がする。それは日常生活から大学新入生の事務的なことまで様々であった。彼はバンドを作りたく、またなぜか沖縄出身のパンプキン頭ということに若干執着しており、自分にドラマーとしてバンドに参加すること、髪型をパンプキンにすることを繰り返し勧めた。部屋には壁一面に並べられたCDケースが幾重にも重なり、その中でもこれがオススメとして聞かされたスリップノットというバンドだった。とにかく激しかった。自分自身ドラムには興味はあったが、結局のところはそこだけに集中することはできず、自然にバンドからは離れていくことになったが、一時的には彼のバンドのドラマーとして存在した。もちろんパンプキン頭にはしなかったし、今だにパンプキン頭のイメージはつかないが、ブルーハーツのドラマーが彼の理想なんだと思う。とはいえ同じ家に住んでおり、彼にはその後も引き続きお世話になり続けた。訳あり途中で大家さんのお母さんが入院することになってからは、ご飯がなくなったためよく二人で食事をしたし、一緒に部屋で食事をした。そういえばタバコを教えてくれたのも彼だった。キャメルのタバコをくれて、吸うように勧められた。初めてタバコを吸った時はもちろんただの煙であり、咳き込むし、美味しいはずがない。こんなものハマるはずないと思い、しばらく慣れてみようと繰り返すと、普通に慣れてきて、そこからは本数が増えるのはすぐであった。赤ラーや赤マル、セブンスター、なんとなくマコの影響もありバンドマンが吸いそうなタバコだ。この辺のタバコを1日2−3箱、その後の話だが、アッキーと2人で飲んでいて、一晩で一人で5箱吸ったこともあった。起きている時間はタバコを吸っていた。若い綺麗な肺になんてことをしていたんだろうと今では思うが、仕方ない、その頃は医師になる夢もなくなり、喫煙への倫理的な抵抗がなくなり、また家を出て完全な自由になり、試さざるを得なかった。タバコがドラッグであり、依存症の壊さも知らないのだから。