ボンディング障害
ボンディング障害(Bonding Disorder)とは
概要
ボンディング障害は、主に出産後の母親が自分の赤ちゃんに対して自然な愛着や情緒的なつながりを感じにくい、あるいは拒否的になる状態を指します。母親が「この子が可愛いと思えない」「なぜか距離を感じる」「抱っこしたくない」といった感情を持ち、それが長期間続いたり、育児行動に支障をきたす場合に問題となります。
これは精神障害としての分類は明確ではないものの、育児困難や児童虐待のリスクと密接に関わるため、臨床的に重要な課題です。
ボンディングとアタッチメントの違い
「ボンディング」は、主に親から子への感情的な結びつきを指し、出生直後からの親の側の感情に焦点があります。
一方、「アタッチメント」は、子どもが養育者に対して形成する愛着であり、生後6か月頃から顕著になる行動的な特徴を伴います。
この違いを押さえておくことは、診断や支援の際に非常に重要です。
疫学
現時点では、ボンディング障害の有病率に関する統一的なデータはありませんが、産後うつ病に併存して見られるケースが多いとされます。
– 一般的な報告では、産後うつ病のある母親の約10〜30%が、同時にボンディング障害を示すとされます。
– 若年出産、計画外妊娠、DV被害歴、精神疾患の既往、社会的孤立などがリスクを高めるとされています。
参考論文:
Brockington et al. (2006)
「母親の産後精神症状の中で、ボンディング障害は見逃されやすいが、臨床的には非常に重要である。」
病態とリスク要因
心理的・社会的要因
– 出産や育児に対する過度な不安やプレッシャー
– 育児に自信が持てない(自己効力感の低下)
– 産後の疲労、支援の不足
– 育てにくい赤ちゃん(夜泣き、入院中、疾患があるなど)
生物学的仮説
– オキシトシン(愛着ホルモン)やドーパミンなどの神経伝達物質の分泌異常
– ストレス反応に関わるHPA軸(視床下部-下垂体-副腎系)の過活動
これらの生理的因子と心理社会的な要素が複雑に絡み合い、ボンディング障害の発症に関与すると考えられています。
その他の関連因子
– 出産時のトラウマ(帝王切開、急速分娩、出血など)
– 望まない妊娠や育児への消極的な態度
– パートナーからの支援不足
– 子どもの疾患や障害、未熟児出生
診断と評価
診断の難しさ
ボンディング障害は、DSMやICDに明確な診断基準がないため、医師の観察と心理的アセスメントに基づいて評価されます。産後うつ病など他の精神症状と重なる部分も多く、見逃されやすいのが現状です。
スクリーニングツール
– Mother-to-Infant Bonding Scale(MIBS)
日本で広く使われている自己記入式の尺度で、母親が赤ちゃんに対して感じている情緒を短時間で評価できます。
– Postpartum Bonding Questionnaire(PBQ)
国際的に使用されているツールで、より細やかな評価が可能です。情緒的反応だけでなく、行動の側面も含みます。
これらのツールは早期発見に役立つため、母子保健や産後ケアの現場での活用が推奨されています。
治療と支援
心理社会的支援(第一選択)
ボンディング障害の多くは、周囲の支援によって改善が期待できるため、非薬物的アプローチが中心となります。
– ピアサポート(母親同士の語り合い)
– 育児グループへの参加
– 保健師や助産師による定期的な訪問
– パートナーや家族との連携強化
育児に対する不安や孤立感を軽減し、「ひとりで抱えない」環境をつくることが重要です。
精神療法
– 認知行動療法(CBT)
母親が抱える否定的な思考(例:「私は母親に向いていない」)に焦点をあて、現実的な視点に修正する。
– 対人関係療法(IPT)
育児に影響する人間関係(パートナー、実家、医療者など)に着目し、関係の再構築を図る。
薬物療法
ボンディング障害そのものに対する特効薬はありませんが、併存する産後うつや不安障害に対して、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)などが処方されることがあります。ただし、授乳との兼ね合いを考慮しながら慎重に使用されます。
参考論文:
Moehler et al. (2006)
「産後うつが回復しても、ボンディングの困難が残る例は少なくない。」
現在わかっていること
– ボンディング障害は、母親の感情的な困難として現れ、育児放棄や虐待のリスクとなりうる。
– 産後うつ病と併存することが多いが、別個の病態として理解される必要がある。
– 心理社会的な支援や育児環境の改善が治療に有効であり、早期介入が鍵となる。
– 妊娠中の支援のあり方や、出産体験の質が、予防の観点から非常に重要である。
現在わかっていないこと・課題
– 明確な診断基準が存在せず、精神疾患としての位置づけが曖昧なままである。
– 「一時的な育児のつらさ」と「障害としてのボンディング障害」の線引きが困難。
– 父親や祖父母など、母親以外の養育者におけるボンディング障害の実態が不明。
– 神経生物学的メカニズムに関する研究は初期段階で、仮説レベルにとどまっている。
– MIBSやPBQのような評価尺度の国際的な標準化や、臨床診断との整合性が課題。
今後の展望と課題
1. 診断体系の明確化
精神疾患としての枠組みにボンディング障害をどう位置づけるか、国際的な議論と定義づけが必要です。
2. 早期介入の体制構築
妊娠期から育児期まで一貫した支援体制を整備し、出産・育児をトータルで支える地域資源の充実が求められます。
3. エビデンスに基づく治療法の確立
心理療法、グループ支援、訪問支援の効果を検証するランダム化比較試験(RCT)の蓄積が急務です。
4. 父親や多様な養育者への研究拡大
養育は母親だけの役割ではなく、多様な家族形態に対応した支援策の構築が重要です。
5. バイオマーカーの探索
オキシトシンなどのホルモン、脳画像研究による生物学的基盤の解明が、今後の診断や治療の一助となる可能性があります。
おわりに
ボンディング障害は、出産という大きなライフイベントの中で生じる、親の心の揺らぎの一つです。しかし、それが長引いたり深刻化することで、親子関係や発達に影響を及ぼす可能性があるため、軽視はできません。医学的介入だけでなく、社会的・文化的なサポート、他者とのつながりが何よりの治療であることも多いのです。
今後、ボンディング障害がより広く理解され、支援につながる社会的基盤の整備が進むことが期待されます。